司法試験に3回落ちた僕。拾ってもらった「旅行新聞」を退職しました

司法試験に3回落ちた僕。拾ってもらった「旅行新聞」を退職しました

 

6月30日づけで株式会社旅行新聞新社を退職し、7月から株式会社ビズリーチで日本最大の求人検索サービス「スタンバイ」のオウンドメディア「みんなのスタンバイ」の編集をはじめました。紙からWebへ。こんな違うと思わなかった。プチ混乱中なので、頭の整理をかねて退職エントリっぽいのを書きます。

 

1.明大で関わったミニコミ誌が紙媒体の原点だった

 最初に紙媒体に関わったのは、明治大学で入ったミニコミ『パラレルワールド』明治大学誤字脱字社)でした。きったないモノクロ印刷の表紙、雑な感じのレイアウト、罵詈雑言に満ちたくだらない記事が、「GON!」(わからない人はわからなくてもよい)なんかが好きだった僕のツボにはまりました。

 担当した記事は「便所虫の研究」とか「ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ、こっくりさんに選んでもらう」といった概して低俗なもの。のちに文章にかかわる仕事につくとは考えてもいませんでしたが、思えば自分のカタを作った「原点」でした。

 

2.司法試験に3回落ちて紙のなかのひとになる

 司法試験に3回落ちて20代後半で職歴なし無職になっていたころ、みつけたのが旅行業界専門紙「旅行新聞」。どうにか拾ってもらうことができました。

 新聞は表記ルールの縛りがきつく、はじめは「めんどくせーな」とか思っていましたが、今もこのとき身につけた知識で食っていけているのだから御の字です。温泉地を取材して1日7回も入浴させられたり、生の淡水魚は口にしないというポリシーに反してコイの洗いを食べさせられたりと、なかなかいい経験もさせていただきました。初めてのインタビューでテンパリ過ぎ、ICレコーダーのスイッチを入れ忘れたのもいい思い出です。もちろん上司には隠して、メモと記憶を頼りに書きました。自分の度胸におどろいたものです。

楽しい思い出ばかりです。ただ、自由な文が書けない(文自体も、業界のアレコレも)。自由に書いていいよ、といわれても書けなくなってしまいマズイなと思いはじめました。さらに「業界紙諸君!」(佐野眞一)を読んで、モチベーションは下がりまくり。彼はパクリ疑惑もあったりしてアレな人ですが、それでも若者のやる気をそぐのには十分でした。

 

3.Webメディアのなかのひとに…なりきれてない

 そして、転職。潜在読者の多さ、メディアとしての規制が少ない感じにあこがれてWebをえらびました。

 まだ全ぼうは見えてこないけれど、とりあえずいまは周囲の足を引っ張る毎日です。まず僕、WordPressを使いこなすところからですもん。あーヤバイヤバイヤバイ!さっさと身につけないとマズイです。周囲も自分もプチ混乱中!自分はいままで「聞く」「書く」ってことだけしかやってなかったんだと気づいた次第。紙媒体、とくに記者系のヒトは気をつけたほうがいいですよ。ほんと。

 

4.最後に

でも、業界紙、良かったこともあります。取材経験を積むことができて、どんな場所でもたいして緊張することもなくなったし。日本語を極限までそぎ落とす発想は、新聞だからこそ身についたことだと思います。なにより、業界紙特有のアットホームな雰囲気のなかでゆっくりと育てていただいたことに感謝しています。

こんなのでプチ混乱が回避できるか不明なのですが、原点を見つめなおして、なんとかやっていきます。